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京都観光スポット(7) 嵐山 大悲閣・千光寺

司馬遼太郎の「街道をゆく」シリーズの中に「嵯峨散歩」という巻があります(私の手元にあるのは朝日文庫、「街道をゆく26、嵯峨散歩、仙台・石巻」、1990年第1刷)。もとは「週刊朝日」に1985年1月25日号より連載されたものらしいですが、司馬先生一行が、嵯峨嵐山を散策された雑感などが10章にわたって書かれています。書かれた当時(1980年代前半)の嵐山付近の様子や、そもそものこの土地の成り立ちがよくわかります(多分に司馬史観込みの可能性ありですが)。

「嵯峨散歩」では、「いちど、京の西郊の嵯峨をゆっくり歩いてみたいと思っていた」という書き出しで始まり、ご一行は、「嵯峨の奥の水尾の里」から旅を開始します。数章に渡って、ひとしきり水尾を散策(=ブラタモリ風)ののち、「大悲閣」という章で、いきなり角倉了以(すみのくら りょうい)に話が飛びます。最近、この章を読み、以前、嵐山の大河内山荘から見えた「大悲閣」のことを思い出しました。

大河内山荘からとった下の写真の対岸の山腹に見える建物が大悲閣です。名称といい、佇まいといい、一度は行かねばと思っていましたが、「嵯峨散歩」を読むうちに、その思いは大きくなり、ついに行ってきました。

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その前に、角倉了以と大悲閣について、「嵯峨散歩」と大悲閣でいただいたパンフレットにしたがってまとめておきます。

角倉了以(1554-1614)は、室町末期に生まれ、織田、豊臣、徳川の時代を生きた実業家。角倉家は、もともとこの地で医術と土倉(金融業)を営んでいたが、嵐山に今もある天龍寺が、独自に当時の中国(明)と貿易を行うのに参画し(天龍寺船)、莫大な利益を得た。また、了以は、丹波から陸路で京都に運ばれていた木材を、嵐山を流れる保津川を使って運ぶことを思いつく。しかし、当時の保津川は、流れが急峻すぎて筏を通すには適さない。そこで、莫大な手持ち資金を投入して、川の開削という大規模な土木プロジェクトを敢行し、水運を可能にしたのである。ちなみに、了以は、のちに京都の二条木屋町から伏見まで高瀬川を掘ったことでも有名。大悲閣(千光寺)は、了以が河川開削工事に協力した人々の菩提を弔うために建立し、また、了以自身が晩年に過ごした場所でもあるとのこと。

前置きが長くなりました。まずは、大悲閣への道のりを紹介します。

修学旅行生で賑わう天龍寺前から渡月橋を渡り、保津川の川端の道路を上流方向に歩きます。つまり、観光客や人力車で賑わうのとは対岸です。こちらは、対照的に人通りはまばらです。週末の昼頃にもかかわらず、川遊びをする若者の姿がちらほらと、たまに、大悲閣を目指すと思しき人が前後を歩いている程度です。

渡月橋から5分程度。歩いているうちに、本当に、この道で良いのだろうかと不安になってきました。私が持っている京都の観光ガイドブックには、辛うじて巻末の地図には名前だけが載っているものの、紹介文や写真などは一切ありません。そんな頃合いを見計らったかのように、突然、手作り感満載の案内が現れました。"Greatest View in Kyoto" とは。"est"が小さく書かれているあたりに、若干の迷いがみられますが。このあと到着までに何度か、このテイストの看板が現れます。期待と不安が徐々につのります。

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渡月橋から10分程度。ようやく入り口です。こちらは、まともです。ここからは急な石段やスロープが続きます。

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入り口から8分程度で、ようやく大悲閣に到着です。うーん、なんだろう、この空気は。探偵ナイトスクープの昔のコーナー「小枝のパラダイス」を思い出さずにはいられません。世界的一大観光地の嵐山の一角に、このような空間が存在していたとは。オシャレ系の観光ガイドブックに、全く載っていない理由がわかった気がします。ここには、あえて写真は載せません。京都的寺院観光に飽きた方には、オススメです。天龍寺二尊院などとのコントラストが楽しめることは確かです。

お堂に安置されている角倉了以の木像は、とてもインパクトがあります。工事用のすきを手に、巻いたロープの上に、片膝を立てて座っておられます。工事現場の親方そのもの。

また、大悲閣からの眺めは、自賛するだけあって最上級に価するものでした。眼下には保津川、遠くは京都市内の街並みから、比叡山までが見渡せます。これで400円は高い気がしません。しかも空いていて、ゆっくりできます。随所に、和尚さんの独特なホスピタリティーもあふれています。

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結構、外国人のお客さんがいます。手作り宣伝の効果でしょうか。
ところで、途中で追い抜いた何組かの日本人らしきカップルはどこに行ったのでしょう。いつまでたっても来ません。結局、帰り道でもすれ違いませんでした。何かを察知して引き返したにちがいありません。

ただ、修学旅行生には、本当におすすめです。他よりも絶対に楽しめます。しかも「最近では、数学、理系上達の寺としても有名です(大悲閣のパンフレットより)」だそうですよ。

ところで、司馬先生の「大悲閣」は、長々と角倉了以の話などをした後、肝心の大悲閣は閉まっていて入れず仕舞い、帰り際に偶然に出会った和尚さんに、入れてくれるよう暗にお願いするも、あっけなくスルーされるというオチなのですが(ネタバレですみません)、もし司馬先生ご一行が大悲閣を訪れていたならば、当時の様子がわかったのにと思うと残念です。当時はどうだったのでしょうね。まさか30年前からこのノリだとは思えないのですが。

途中の休憩所の工事が中断している風だったりと、随所に財政的問題が感じられます。お賽銭を多少奮発しておきましたが、もともと大規模な開発のプロジェクトマネージャーの元祖ゆかりの寺なのだから、ゼネコンとか大手デベロッパーあたりが、プロジェクト成功祈願とかで、どんと寄進でもしてくれたらいいのに、と思ったりしました。でも、それで、いまの味わいがなくなったら寂しい気もしますが。

嵐山に行ったら、また立ち寄ってみたい場所の一つです。どうか、これからも、この路線で、観光客を楽しませてください。

参考
大悲閣のブログ「和尚日和」もなかなかイケています。
http://daihikaku.jp/mt/